夏の匂い、君の匂い。

昨日、やってきましたよ。弾き語りライブ。エレクトリックアコースティックと言っても過言ではない。ごめん嘘。半分嘘、半分嘘です。

イベント中にイベントタイトルが出来るという珍妙なイベントでしたが面白いイベントでした。「佐藤水2007」。凄いイベントタイトルじゃ。

僕はオープニングアクト扱いで一発目20分だけやらせてもらいました。やはり、たった一人でステージに立つというのは孤独なものである。お客さんをどれだけ巻き込めるかがキーなのだろうか。だが孤独という不安を抱えていては巻き込むことも出来ない。

昨日は弾き語り2度目だったのですが、一度目より伸び伸びやれた。と、思う。初めてのは本当に緊張してよく覚えていない状態だったのでそれよりはマシだっただろう。と、自己採点。課題はヤマの如しですが、好評価を頂ける人には頂けた。全然、満足ではないが少なくともそれがないと中々励みにならないものだ。理想としてそればかりになるのが理想だがそれはそれで張り合いがないかも。

ただ、もう4年も5年もボーカルギター、もしくは弾き語りをやってる人との対バン。真剣にボーカル、ギターをやり始めて2ヶ月たたない僕との差をまざまざと見せ付けられた。悔しい。這い上がってやる。僕は心のどこかで軽く考えていたのかもしれない。バンドでギターボーカルをやる上で弾き語りも出来たほうがいい、一人で世界を作り出せなければいけない。と思い弾き語りに着手した。その根底の部分は今もまだ変わらない。僕がやりたいのはあくまでバンドであって弾き語りではないだ。でも、一人で表現できるようにはならなければいけない。一人で表現出来ないようなら何人集まっても所詮烏合の衆。あくまで僕の考え方だし、バンドのスタイルにもよりますが僕はそう思う。少なくとも僕のやりたいバンドのスタイルとしてはそう。

ただ、表現をする。というよりも修業的ニュアンスの方が圧倒的に大きかったかもしれない。つまり、ギターボーカルの練習のための弾き語り。だから、バンドで弾いていることと大幅にフレーズは違わないし、これでいいや。と思っていた。でもそれじゃダメなんだな。一人で表現するということは全部一人でやらなきゃいけない。バンドならドラムがビートを分かりやすく提示してくれる。バンドならベースが音符の長さを提示してくれる。それが全てじゃないけどバンドで分けられているそれぞれの役割をギターとボーカルだけで表現しなきゃいけない。ドラムがないからストロークでビートを提示しなきゃいけない。ベースがないからオンコードばかり使うとスカスカになる。芯がなくなる。

凄い奥が深い。といっても僕などまだ入り口でウロチョロしている程度の者ですが。それに気付かされた。もっと本気でやらなきゃ。ギターボーカルのための練習?アホですかと。軽く考えすぎだ。表現者としてもっと己を練磨するためにやっている。ならもっと表現方法を考えないと。知らないと。もっともっと努力しなきゃと本気で思った。今、僕はきっとドン底だ。ここが底辺。そこから、いかに這い上がれるかだ。頑張ろう。ホントに。