どもーーー、エグです。ザイルです。
全員でエグ・ザイールでーーす!
と言わんばかりの画像ですよね。
そんなことはさておき、
僕はというと月の半分以上地下鉄に乗る日、そんな生活です。
だいたい、一番後ろの車両に乗るのが定説なのですが
先日たまたま先頭車両に乗り合わせまして
くらーい、ながーい洞穴を只々走り抜けている間を
運転席の後ろから感じていました。
新鮮でしたね。
僕がここ何年か、下手したら何十年か、通っていた道なのに
どんな道かを知らずに過ごしていて
何十年か越しに、こないなっとったんか的な
そんな気持ちです。
通い慣れた道もほんの少し目線を上に持っていくと
あれ、このあたりの二階ってこんななっとったんや。
と、また新鮮な気持ちでその道を通り過ぎられる。
そういう感覚が結構好きだったりします。
もはや、通いなれ過ぎた道だったりすると、わざと通ったことない道に
入ったりして、迷子風を演習して「おー、この道に出てくんのや!」と
感動したりしている、そんなしょうもない人生です。
先日、誰か分からない人のツイートがいいねかリツイートで回ってきたのですが
「電車の中すごい。三十代以下はほとんど全員ケータイ見てる。
三十代以上はほとんど目を閉じてる。ほとんど誰も現実見てない。」
っていうの見て、何が言いたいのかは分からなかったのですが
電車の中で1人、一体どこを向いているのが正解なんだろう。
そんなことを思いました。
案1:吊り革をじっと見る
最終電車に揺られて、捕まった手すりがベトつく。
そんな歌詞がBzの歌詞であった気がしますが、もちろん
僕はそんな体験はありません。
たまたま多汗症の方が捕まった直近の手すりに捕まってしまったのか、
はたまた全く汗とかとは違ったベトつきだったのか、その心は
稲葉氏に聞いてみないとわかりませんが、幸か不幸か僕はそんな体験はありません。
ですが、もしかしたら見てわかるくらいにベトついている手すりが
この世には存在するかもしれません。
僕たちが知らない間に、手すりはベトついているのです。
僕らが寝ている間に夜が朝になっているようなまるでそんな感覚といっても過言ではないでしょう。
眠い目を擦り、初日の出を見に行って、夜が朝に変わる感覚を見に行った人も
少なくはないはずです。
そんな感覚で、ベトついてない手すりがまさにベトつく瞬間を目撃するのも
また一興。そんな風に思うのです。
スマホを見るくらい、黙って目を閉じるくらいなら吊り革をじっと眺めて
そんな吊り革に変化が訪れる瞬間に立ち会って見る。
それって素敵やん?
そんな風に思うのです。
案2:ただ黙ってじっと外を眺めている
スマホもダメ、目を閉じるのもダメ、となると
実際現実的な目線はこちらになるのではないでしょうか。
実際、電車の窓から見える景色というのは
なんと言いましょうか、とても美しいものではありませんか。
イッツビューティフルワールド。
そんなことを窓を見ながら小声で呟いて半径5mの人々を
ドン引きさせたい。そんな風に俺だって思うことはあります。
だって考えても見てください。
コンマ1秒だって待ってくれない、目まぐるしく変わる絵画のような、
そんな世界です。電車の窓というのは。
そんなコンマ1秒の間に、どんな美術館でも見れないほど
美しい世界が広がる可能性だって広がっているんだ。
僕はそう、声を大にして言いたい。
イッツビューティフルワールド。
さあ、みんなご一緒に。
と、言わんばかりの勢いですね。
何案か出してやろうかと思いましたが、
文章量的にもいい感じになったのでこれくらいで勘弁しておいてやる。
そう言わずにはいられない、そんな毎日でした。
以上、そんな毎日でした。