幸福論

さて。

最近なんか考えるんですけど

幸せってなんなんだろう。

って。

幸せというか

幸福と不幸。

という状態についてです。

というのも

犬について思うことがあって

例えば野良犬

捨て犬はかわいそう

野犬はかわいそう

かたや

愛玩動物として育てられたとしても

牙を抜かれて

野生の本能を忘れさせられて

行きたい場所にも行けずに

かわいそう

みたいな意見を

よく見るのですが

実際的に犬側に立ってみた時に

どう思ってるんだろうと

想像したら

自分のことをかわいそう

だと思っている犬って

結構少ないんじゃないかな

と思う部分もあります。

なぜなら

一つ思うのは

幸福や不幸って

結局

過去、

もしくは他者

との比較でしか生まれないんじゃないだろうか

って思うんですよね。

一つ興味深い研究結果があるそうなのですが

とある山奥に生息する部族がいて

まあ人類の叡智に

あやかることなく生きていた部族らしいんですけど

幸せに暮らしていたんですよね。

そこに文明を与えて

外の世界は

こんな世界だって教えた結果

自分たちは

貧しい生活をしている

と思ってしまって

幸福度が一気に下がった

という話を聞いたことがあるんですけど

つまりは

知ってしまったから

不幸になってしまった

ということになります。

この結果から見るに

知るってことって

自分の環境は

恵まれているわけではない

思ってしまうきっかけになるんだな

と思いますよね。

話は戻りますが

だから犬の中でも

日常は日常でしかなくて

その中でも

いい思いをした瞬間が

なければ

それは日常ということになるのではないかな。

とか思ったり。

まあその辺は

こちら側の価値観で

なんとかしてあげていいと思うんですけど。

「無い」が当たり前の世界だと思っていたら

実は

「ある」という選択肢があること

それを多くの人が持っていると知ること

これが多くの不幸の原因な気がしたりしますよね。

だから思うのは

生まれてきた時は

誰しもフラットであって

そこから

いい思いをすることもあれば

そうでない思いをすることもあったとして

いい思いがあったら

幸せなんですけど

それが日常化すると

当たり前になる。

そしてそれが無くなると

不幸だと感じるし

なんなら

満足していたはずなのに

もっといい思いがなければ

不幸だと感じる

までありますもんね。

だから

今幸せではない

と思っている人が

幸せだな

と思えるためには

今当たり前だと思っていることが

全然当たり前じゃない

ということに

気づくことなんだろうな

と思ったりしますね。

そう思うと

当たり前

という言葉はもう

不幸の始まり

または

終わりのない欲求への入り口

とも思ったりしますね。

当たり前のことなんてない。

今ないことに憂いて

不幸に思うよりも

今あるものに目を向けて

あることの幸福を常に噛み締める

ってことが

いい人生を生きる秘訣なのかもな

なんてことを

思ったり

思わなかったり。

いや

絶対そう思ってるやろ

思った人は

正解です。

以上。

正解でした。

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