星の数ほどのサヨナラの中で。

風味堂というバンドのLAST SONGという曲にジーンと来た。ええ曲や。ピアノロック。ビバピアノロック。いや、ピアノポップ?

死を目前に迎えた男が身の回りの人に当てた歌。そのコンセプトが中々いいですね。まぁ、僕が死ぬときはこんな達観した気持ちにはきっとならないと思いますが。きっと、なんで僕が。なんで僕なんだろう。と、不平不満の嵐の中死んでいくことでしょう。皆さんも宜しければ一度聴いてみては?

死んだらどうなるのかな。とか、昔よく考えたものです。最近は、あんまり考えなくなりましたが。死ぬということがリアルじゃなくなったのかもしれません。昔は死にたかった訳じゃないけど、死というものに興味があった。でも、今は死よりも生の方に目が向いてるから考えなくなったのかもしれない。

どう死ぬか。よりも、どう生きるか。の方がずっと大事だから。

「悲しいけど、この世に永遠なんてないから。悔しいけど、時は前にしか流れないから。」

いつ死ぬか。なんて分からない。明日死ぬかもしれない。じゃあ後悔のないようにしよう。…なんて思わないけど。いつ死のうが、きっと僕は後悔するよ。後悔のない死は、後悔のない人生くらい有り得ないものだから。

だから、せめて後悔の少ないように生きようか。なんて。

ソー・ベリー・ファイン。

fine.(ファイン)という漫画を読んだ。正確には読みきった。1,2巻しか買ってなくていつか続きを買おうと思っていたのだが、もういいや。と、漫画喫茶で読んでしまった。4巻で完結という割かしサクッとした感じだった。サクッと終わる漫画は割りと好きだ。簡潔に完結しているのであれば…ですが。

僕の中の良い漫画は、大抵10巻以内で終わる。まあ、今もNOW数多くの人の心に残り、既に伝説にまで昇華されつつある数々の少年漫画たちは別として。

あと僕が目を引く漫画もちょっとした共通点がある。表紙が白を基調としているということである。表紙…というか本自体が白を基調としているものは何となく手にとってしまう。なんか惹かれるんですよね。

そのfine.も例に漏れず白を基調とした表紙であった。と、いうか買ったときはカナリ、ジャケ買いに近かった。イカした表紙だったんですよね。僕的に。

内容はと言いますと…ダメな漫画ですね。やっぱり。おもしろくないってことじゃなくて登場人物がダメな感じの人が多い漫画です。でも真剣に生きてんですよ。主人公は、画家を目指す美大?(だったような)出身の20代後半の男。大学時代は突拍子のない発想に周りの友達は驚かされ、先生には怒られ、それでも普通なんてつまらない、レールの上を走りたくないと、そのままズルズル6年が経過した時の話。やはりレールに乗っかるのか、自分のアートを貫くのか、いつだって飛べると思っていた男の葛藤を恋愛を交えて描いたお話。

そういう葛藤は誰しもあることなのか、少なくともなんとなく共感出来るポイントは多かった。結局、世の中に正解なんてなくて、どういう選択肢を選んでもそれなりの人生が用意されているんだな。結論を言ってしまうとあんまりハッピーエンドじゃないんだけどハッピーエンドの様に見える。そういう終わり方だった。内側から来る葛藤を描いた漫画、理想と現実をリアルに描く漫画と言うのは、考えさせられて好きだ。僕も、そういう事を音楽を通して表現したいな。とか思ってる。

僕の葛藤など誰も興味がないかもしれないけど、それでも。

溢れんばかりの感情を込めて。

ダメなものはダメ。いいものはいい。本当はそれだけで、そこに理由なんて無いんだけど僕らはスグにそこに理由をつけたがる。これいい!またはこれダメ!で終わらすのは簡単なことなのに何故いいのか、何故ダメなのかを考える。

それは突き詰めると自分探しでしかないんだよな。自分の中のカッコいい、カッコ悪いを確認するという作業に過ぎない。そこから感じ取った何かを自分のその後の人生に活かす、活かさないは人それぞれ。それぞれのスタイルがある。

それは音楽も同じ。人それぞれスタイルがある。それを受け付ける、受け付けないも人それぞれ。

ただ、表面上のことだけでやってしまえば、いつか廃れる。と、僕は思っている。というかどうしても無理が生じる。犯罪をすることをなんとも思わない人が良い警察官になろうとするようなものだ。

良い音楽は、良い人間から生まれるもの。僕の友達がテレビ局の仕事をしたとき、某少年アイドル系の誰それは「お疲れ様です。」と、言っても素無視だったそうな。なにせ僕の友達など下っ端も良いところだ。当然といえば当然なのかもしれない。しかし、日本R&B会の重鎮、チャーハンことW・A氏はしっかりと「お疲れ様です」と返してくださったという。

素晴らしいエピソードだと思った。某音楽レーベルの人曰く「アーティストには会社の行き先、社員が明日食っていけるかが掛かってる。大きくなればなるほどたくさんの人の未来をしょっていかなきゃいけない。そのプレッシャーに潰されてしまってはいけないけれど、そもそもプレッシャーを感じないようではもっとダメ。」

自分のことばっかり考えてたらダメなんだな。自分が良ければそれでいいじゃ音楽は成り立たない。音楽は心配り、気配り。良い音楽をやるには良い人間にならなきゃね。僕は思いやりのない人間を思いやれるほど出来てはないけど。もっと成長しないと。日々、精進。日々、ヒップホップ。

CPUに依存しないプラグインのような女の子。

昨日は練習でした。思ったこと。やっぱりバンドは良い。楽しい。いや、一人も一人でいいんですよ。でも、やっぱり僕はバンドがいいんだわ。これくらいがちょうどいいんだわ。

練習は新曲をひたすら詰める作業で終わった。最初に合わせたとき、え!?先週の方が良かったじゃない!と、いう最悪な印象だったが一回のスタジオを全て使い、大分巻き返した。あーあ、毎日練習したいな。

そうそう、初ライブが決まった。6月27日。at VOXホール。果たして曲は間に合うのか。取りあえず、しょーもないことだけはしたくないな。カッコつけずにいこう。僕は僕でしかないんだから。無理のないライブ。その上で格好良い。が、理想。

初ライブにCDを無料配布する予定です。前のバンドでやってた曲「初恋」。キーを一音下げてお届けしております。なんとか、間に合わせないと。いろんな事駆け足でやっていかないと間に合わない。良い音源を作る。良いライブをする。納得のいく形に早いこと持って行きたい。その作業に終わりはないのだけれど。

深く深く抉るんだもんな。

昨日は最近めでたく子供が生まれた友達におめでとうを言いに行きました。

行ったはいいが空はどんより曇り空。僕はその前の日のライブの打ち上げで4時間寝での参加で眠い目をこすり合わせて発火しました。

そんなに遠い病院じゃ多分無いんですけど結構時間を食ってしまいました。途中、ラーメンも食いました。道草も食いました。

で、着いた先がとてつもなく負のオーラに満ち溢れた病院。老人ばかりの病院。病院内の空気もどことなく重い。こんなところで出産したの?と、疑問に思っていると案の定、間違っていた。逃げるようにその病院を後にした。元気の欠片もない病院だった。明日は我が身と思うとゲンナリした。その病院を僕は天国に一番近い病院。と名づけた。

そしてやっとこさ到着した真の病院。おお、ヒカリ輝いている。ように見える。さっきの後では。友達の病室へ行き、友達と赤ちゃんにご対面。オムツを変える友達の姿になんだかじーんとなる。父親だ。父親の姿だ。

抱っこさせてもらった。凄く小さい。ちっちぇな。ホントちっちぇよ。へへっ。

落としてしまったら一大事なのでドキドキした。

その後しばらく喋ったあと帰った。帰り道の車内ではカーペンターズが流れていた。トップ・オブ・ザ・ワールド。黄昏時やで。なんだか少し感慨深い気分になった。ただ雨が土砂降りだったが。

夏の匂い、君の匂い。

昨日、やってきましたよ。弾き語りライブ。エレクトリックアコースティックと言っても過言ではない。ごめん嘘。半分嘘、半分嘘です。

イベント中にイベントタイトルが出来るという珍妙なイベントでしたが面白いイベントでした。「佐藤水2007」。凄いイベントタイトルじゃ。

僕はオープニングアクト扱いで一発目20分だけやらせてもらいました。やはり、たった一人でステージに立つというのは孤独なものである。お客さんをどれだけ巻き込めるかがキーなのだろうか。だが孤独という不安を抱えていては巻き込むことも出来ない。

昨日は弾き語り2度目だったのですが、一度目より伸び伸びやれた。と、思う。初めてのは本当に緊張してよく覚えていない状態だったのでそれよりはマシだっただろう。と、自己採点。課題はヤマの如しですが、好評価を頂ける人には頂けた。全然、満足ではないが少なくともそれがないと中々励みにならないものだ。理想としてそればかりになるのが理想だがそれはそれで張り合いがないかも。

ただ、もう4年も5年もボーカルギター、もしくは弾き語りをやってる人との対バン。真剣にボーカル、ギターをやり始めて2ヶ月たたない僕との差をまざまざと見せ付けられた。悔しい。這い上がってやる。僕は心のどこかで軽く考えていたのかもしれない。バンドでギターボーカルをやる上で弾き語りも出来たほうがいい、一人で世界を作り出せなければいけない。と思い弾き語りに着手した。その根底の部分は今もまだ変わらない。僕がやりたいのはあくまでバンドであって弾き語りではないだ。でも、一人で表現できるようにはならなければいけない。一人で表現出来ないようなら何人集まっても所詮烏合の衆。あくまで僕の考え方だし、バンドのスタイルにもよりますが僕はそう思う。少なくとも僕のやりたいバンドのスタイルとしてはそう。

ただ、表現をする。というよりも修業的ニュアンスの方が圧倒的に大きかったかもしれない。つまり、ギターボーカルの練習のための弾き語り。だから、バンドで弾いていることと大幅にフレーズは違わないし、これでいいや。と思っていた。でもそれじゃダメなんだな。一人で表現するということは全部一人でやらなきゃいけない。バンドならドラムがビートを分かりやすく提示してくれる。バンドならベースが音符の長さを提示してくれる。それが全てじゃないけどバンドで分けられているそれぞれの役割をギターとボーカルだけで表現しなきゃいけない。ドラムがないからストロークでビートを提示しなきゃいけない。ベースがないからオンコードばかり使うとスカスカになる。芯がなくなる。

凄い奥が深い。といっても僕などまだ入り口でウロチョロしている程度の者ですが。それに気付かされた。もっと本気でやらなきゃ。ギターボーカルのための練習?アホですかと。軽く考えすぎだ。表現者としてもっと己を練磨するためにやっている。ならもっと表現方法を考えないと。知らないと。もっともっと努力しなきゃと本気で思った。今、僕はきっとドン底だ。ここが底辺。そこから、いかに這い上がれるかだ。頑張ろう。ホントに。

くだらない言葉の壁を。

昨日は呑んだ。呑んじゃった。トッピリピ、呑んじゃった、ちょっとイイ気持ち。今日はライブだから一度は止めておこうと思ったのだがもうすでにお店取って、会計に含まれていたらしいのでどちらにしてもお金を払わねばならぬなら私は呑む!と、呑みました。

で、寝て起きたところあまり酒は残ってない。手、動く。体も動く。いける!と、けだるい体を起こし今に至る。けだるさは少しくらいあってもいいかもね。ちょっとくらいのけだるさがちょうどイイ肴になる。とか。

つーわけで、今日はライブです。たった20分間のライブ。変に意気込まずに伸び伸びやろう。じゃ、行ってきます。

君のその優しい嘘で僕を殺してよ。

来た来た北キター。ついに明日に迫ってきました。弾き語りライブ。ヤべー何も出来てねぇ。心の準備が出来てねぇ。明日のことを考えると頭がフットーしようだよぉっ。

ま、心の準備なんていらない。この際、ピッチとかいいや。言葉を吐き出す。吐き出す言葉。そこに重点を絞ってみましょうか。うまくやれるかは分からないけど。多分、うまくはやれないだろう。ただ、練習と同じ感覚でやれればおもしろいものが出来るかもという気はしてる。

昨日も一応練習したけど、悪くない気はした。トチリまくってるけど。とりあえず心が折れなければ大丈夫。心が折れるか、折れないか、というのはとても重要なポイントだったりする。とにかく自分らしくやってみよう。自分らしさってどんなもんか全然分かんないけど。結局のところ自分探し。感情が移入(投入)出来るようにやればそれでいいと思う。形はどうであれ。本気でやれるそれぞれのスタイルでそれぞれやればいいんだよ。

取りあえず明日は18時から、20分だけ時間貰ってます。期待に答えられるか保障は出来ませんが来たいと思う人来て下さい。んな事でどうする。とにかくやれるだけやります。というか、残念なことにそれしか出来ませんが。

涙くん、こんにちわ。

こないだ、ステレオタイプとはまた違うメンツでスタジオに入りセッションした。楽しいものである。キーはEで、好き放題ギターをかき鳴らしながら好き放題適当なことを歌う。その場で思いつくメロディ、歌詞をブチ撒ける。気持ちいい。こういう音楽もアリかも。と、思った。

その最後の方に僕がハイスタを弾き始めて、その流れでハイスタを合わしだした。あ、ハイスタってのはハイスタンダードの事ね。正直、年単位でやってなかったハイスタンダード。僕の青春。今やったら、劇的に違うのかな。などど、淡い期待でもって合わしてみた。…どうだろう?ん~って感じだった。今日び、高校生の方がもっといい演奏するかも。

「これじゃ、高校生はビビらんで。」と、本気でやりだす。ハイスタの中で多分一番簡単であろうサウンドオブシークレットマインズという曲をやる。高校生と、一線をかすためにはまずハモリだ。と、ハモリの練習開始。それとともに構成も確認。よしよし高校生レベルに近づいてきた。「大人のハイスタはギター位置高めや」と、ストラップを短くする。大人のハイスタって何ですの?

高校生をビビらす。というクソみたいな目標を掲げて頑張ってきたが「今日びの高校生は、ハイスタ知らんしビビらんで」という一言でFA。ハイスタもバンアパも知らないというこの始末。悲しい話を聞いた。タワレコにて高校生のカップルが「ハイスタってどんなん?」「え?イナゴのパクリ。」…という会話を繰り広げていたという。実に腹立たしい話だ。時代なのであろうか。そんな世の中を改変すべく、僕は頑張ろう。と、そう思った。

…とか、思わないとか。

生き急げなんて誰も言っちゃくれない。

友達の子供が遂に誕生した。めでたい話だ。昨日、練習終わりにウェンディーズ、通称ウェンちゃんでポテトに噛り付いているところに一報が入った。あいつもとうとう親父になった木曜日の夜。本格的に彼もパパだな。…パパだよ。心から祝福したいと思う。

さて、そんなわけで昨日は練習だった。第3回目スタジオ。いちいち何回目の練習か。が、言えるところにバンド結成の間の無さが感じられる。初々しいものだな、若さゆえの過ちとは。

新曲3曲あるうちの1曲に手をつけたのだが、悪くないように思えた。いや、アンサンブル的には、もっとやらないとイカンが取りあえずやってて楽しかった。という所が、重要なポイント。

楽しいだけじゃダメ。なんですけど、取りあえず一番手前として楽しくなきゃダメなんで。全然出来てないけど、何故かしっくり来るものはあった。不思議な感覚だな、あれは。

一昨日、個人練習6時間入った甲斐もありボーカルも徐々にジャイアンリサイタルから離れてきた。…と、自分では勝手に思ってる。だが、まだまだ道のりは遠い。やってやるぜ、震えるぞハート、燃え尽きるほどヒート、刻むぜ波紋のビート。