僕とボックス その6

シリーズ続きもの第6話です。

さてこけら落としイベント以来、NEW VOXhallが始まったわけですが

それまでにVOXhallに出演していたバンドも

一部をのぞいて出演することはなくなっていき、

代わりというわけでは無いですが

また新たにVOXhallを拠点としてくれるようなバンドも集まってきたりしました。

新陳代謝のような感じです。

他のライブハウスに偵察に行ったり、

フリーペーパーや京都地元ラジオで紹介されているようなバンドのライブに足を運んで

実際にそこでコンタクトを取ったりしていたようです。

もちろん大まかにやると営業妨害になるので、尺度は保った上でですが。

そんなこんなで

新しい色が出来上がっていくのを肌で感じていました。

僕はといえば、やはりメンバーチェンジを繰り返してバンドを続けていたわけですが

いよいよ同じバンド発起人であるボーカルが

祖父に不幸があったのをきっかけに就職に向けた活動をすることに決め、

バンドを引退することを決意しました。

もともと「仲が良い」というところと、「基本的な音楽の趣味が合う」というところで

一緒にバンドをやっていましたが、

作詞作曲をしている僕の趣味もこの4〜5年間で大きく変化もあり

作詞作曲をしているだけにボーカルへの当たりも強かったように思います。

今思い返せば。

そういうこともあってか、

全然関係ないかは今となっては分かりませんが、

とにかく彼はバンドを辞めることとなりました。

ラストライブは

当時、店長有堀さんと共にブッキングをやっていた男性ブッカーがいたのですが

もう辞めるということになって

その人がやっていた看板イベントを

3DAYSぶっ続けで最後にやろう!ということで

それをそのバンドのラストライブとして合わせたのを覚えています。

ラストライブも終え、

さて新たなボーカルをどうしよう。ってなもんですが、

めちゃくちゃいいボーカルがいればすぐにでも声をかけたでしょうが、

バンドのライブ後に色んな人に意見を聞いたら

ボーカルへのダメ出しが多かったりしたし、

当時はオイオイ頑張ってくれよ的なスタンスだったのもあって

人に頑張らせるより自分が頑張った方が気が楽だわ。

と、思ったのでここでベースからボーカルに転向することに決めました。

年齢は26歳の歳だったと思います。

遅すぎるデビューですが、

やってやる。という思いだけは燃えていました。

ここでベースボーカルという選択肢もあったのですが

ベースを弾きながら歌うのヤダな。

という個人的趣向からさらにギターにも転身しました。

かなり思い切った転身ではありましたが、

弾き続けるメンバーは引き続いてもらい、

足りないパートはツテで人材をつたって加入してもらいました。

バンド名をどうするかは少し悩みましたが、

もう完全に別のバンドだなと思ったので新たにバンド名を考えて名付けました。

こうしてステレオタイプの誕生となりました。

前バンドからは2曲ほどだけ曲を受け継いで

あとはせっかくだから曲も一新しようと

3~4曲新曲を作って、初ライブも決めました。

場所はもちろんVOXhall。

ステレオタイプとしての初ライブ、

つまりボーカルとして初めてのライブのことはあまり覚えていませんが、

ライブ後のダメ出しでは、前のバンドより可能性を感じた。

という風に評価をいただいたのを覚えています。

この辺りからバンドとしても、

本格的な活動に入っていったように記憶しております。

以上。

記憶しているのでした。

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